Letter to the library
和光大学附属梅根記念図書・情報館様
2020年秋には、かつて和光大学で仏文学を教えられました華埜井先生の資料を精査していただき、厚く御礼を申し上げます。
2021年春にその結果を『 華埜井香澄先生と丘の上の小さな大学』と題して、私のWebsiteにUpload致しました。
その後関係者様からいただきました貴重なご教示を参考とし、今年に入ってから内容の一部を補訂して第2版とし、このたび再度Uploadするに至りました。
題名も、内容をより包括的に示したくおもい、『邂逅 1969年―1986年 丘の上の小さな大学に』とし、また『第2版への序』をあらたに書き加えて、この一年の経過を略述致しました。以下にその新しい序文を再掲致します。
.........................................
第2版への序
この追想は2021年の春に刊行されました。
刊行後、あたたかな幾通かのご手紙をいただきました。
それらを拝読し、今回、本文の一部を補訂しました。
この追想についていただきました貴重なご意見に深謝します。
ことに私の高校の大先輩で、今春に米寿をむかえられ、なお粛々と歴史研究を続けておられるK先生からいただきました長文のお手紙は、
私の内面の微細に至るまでを推し量り、つたないながらに私が書き上げたことを祝してくださいました。
この追想を書き始めた当初、中心をなしたのは、ご自身の研究と大学でのお仕事を深めていた途上で夭折されたひとりの仏文学者へのおもいを書き記すことにありました。
しかし書き進めるうちに、その逝去は、私には想像できなかった多くの優しさによって包まれていたことを知りました。
この機会に初めて披見した先生の生涯に触れた文章や著作に、それらの事実が詳細に記されていました。
私は初版刊行後、この追想は夭折されたひとりの仏文学者を中心としながらも、先生とその同僚、また東京の南に位置する創立まもない丘の上の小さな大学に集ったすべての人々とその方々との出会いに、捧げるべきものとおもうに至りました。
従って、この第2版では、題名を『邂逅 1969年―1986年 丘の上の小さな大学に』としました。年号は私が大学に在籍していた二つの時期とその間の非在籍の時期を含めて示しています。
最後に、私がこの追想を書くことへのおもいをあたたかく理解してくださり、また半世紀前となる細かな諸事実を精査してご報告くださり、書き続けることに繰り返し励ましてくださったすべての人に、あらためて心からの感謝を申し述べます。
田中章男
東京
2022年3月18日
石南文庫
.........................................
和光大学は、いまでは創立60年に近く施設も整い、もう決してあのころの「小さな大学」ではないとおもわれますが、私の60年代末の在籍時は、研究室でお茶を飲むためのお湯が近くで用意できず、研究等の一階の隅にあった給湯器まで行き、そこで用務員さんからお湯を注いでもらいました。
私が卒業8年後、ふたたび人文学専攻科に在籍していた帰り道で、もう引退なさった用務員さんと再会しました。用務員さんも私の顔をおぼえていてくださり、「今度私の家によってください、あの丘の上だから」と懐かしそうに話してくださいました。
半世紀前の和光はそんな素敵な「小さな大学」でした。
そうしたこともあって、題名に年号「1969年―1986年」を記載いたしました。
.........................................
この作品は現在、以下に表示します私の二つのSiteにUploadしております。
Sekinan Memory / Memory
ENSILA Energy / Memory
内容は、すでに半世紀前となります旧人文学部文学科の限られた追想ですが、
和光大学の職員の皆様、また歴史的事実に関心のある学生の皆様への何らかのご参考になれば幸甚と存じ、ご連絡申し上げます。
和光大学の今後の一層のご発展を祈ります。
2022年3月21日
田中章男